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足元にみつけた物語

織物の向こう側にある景色

織物職人 當山アヤ乃さん

いくつもの機織り機が並ぶ母と娘たちの場所

南風原町当間原のバス停で降りて、車で10分も走ったころ本部という地域に入る。照屋、喜屋武とともに琉球絣、南風原花織の産地のひとつだという。作り手さんのひとりである當山アヤ乃さんの工房を訪ねるため照屋を目指す。かすり会館を通り過ぎ、絣の模様が描かれた民家の壁がいくつも車窓から流れてゆく。国道329号線沿いの見知った南風原の景色とは違う、趣のある町並みがそこには佇んでいた。

織物の工房や作業場の看板が掲げられた入り口、公園にある遊具のような糸を干す道具が並ぶ作業場、織りあがった反物を洗濯して干す作業場の駐車場スペースに張られた洗濯紐の青を見つめる。南風原では分業でひとつの織物を作っているという。できあがった織物や作業をしている作り手さんを見るよりも先に、そのいくつかの工程について入ってくる情報が景色からというのは初めての経験だった。しばらくして一軒の瓦屋根の古民家に到着すると、中から大城ヨシ子さんが迎えてくれる。娘の美千代さんとアヤ乃さんとともに織工房由(ゆい)をこの場所で営んでいる。

入ってすぐの畳間には、所狭しと6台の機織り機が並んでいた。行き先がかすり会館のような大きな施設で、機織り機を並べて作り手さん達が黙々と織っているような風景ばかりを思い描いていたので、小さな部屋に並ぶ織り機の佇まいと迎え入れてくれたヨシ子さんとアヤ乃さんの笑顔に一気に緊張が緩み、部屋の隅に座った。

何千もの糸を通し続ける静かな時間

伊平屋島から南風原に嫁いできたヨシ子さんは、旦那さんのおばあちゃんから教わったのがきっかけで織物を始めた。機織りの音を子守歌代わりに育ち、自宅で経糸を一本一本通して織る段階に持っていく綜絖(そうこう)通しという工程を請け負うおばあちゃんの姿を見て育ったアヤ乃さんは、小学生のころからお小遣い欲しさにお手伝いを始め糸に触れた。お小遣いは欲しかったが、何千という糸を見ているうちに仕事として将来やることはないだろうと子どもながらにも思っていたという。

綜絖通しの作業がとにかく好きで、「緯糸(よこいと)がどんなふうに入り、どんな模様になるのかなと思い浮かべながら通している」と微笑むアヤ乃さんに作業風景を見せてもらった。前と後ろ2本の糸を一組として、筬(おさ)というくしのような道具に金具の器具を使ってひとますずつ差し込み、間違えがないか確認しながら進めるとてつもなく根気がいるうえに神経を使う作業。冬物用の着尺だと1200本という糸をひとますずつ差し込むその作業は、3時間から4時間ほど時間を要する。分業なので次の人へとつなぐこの作業は、人のためになっているかもしれないと感じられるのもうれしいという。糸を差し込む時に金具同士が触れ合って奏でるすーっという音を聴きながら、アヤ乃さんが黙々と一定のリズムに合わせて手を動かす姿を食い入るように見つめた。

織物の向こうにある作り手の生活と思い

24歳の時に初めて織った帯が検査基準に合格したことで、工芸センターで花織をメインにデザインから織りまで全ての工程の研修を半年学んで技法を習得し、工房を立ち上げた。

工房の名前の由(ゆい)には、三人三様作りたいものをおのおの作るという意味も込められている。ここでは他の作り手さんの作業を請け負いながら、自分たち織物も制作している。これまで織った生地のファイルを広げ、ヨシ子さんが思い出しながら話すそばで、作り手になるきっかけとなった初めて織った帯をアヤ乃さんはゆっくりと広げる。それを見ていたヨシ子さんも誇らしそうに説明を付け加える。沖縄で生まれ育ったにもかかわらず、伝統的な織物の種類はおろか名前すら朧げだったこと、着物が一反できあがるまでの工程にこれまで思いを馳せることがなかったことに気づく。デザインを起こし、糸を巻いて括り染色し、綜絖を通して、そこからやっと織る作業に入る。

アヤ乃さんはすべての工程が終わって織る段階が見えたときが一番うれしい気持ちになる反面、納得いく物ができたことがないので反省の気持ちも生まれるものの、ゴールが見えるのでやっぱりうれしいと笑顔になる。そんなアヤ乃さんには3人の子どもがいるが、旦那さんの理解もあり作り手としての仕事を続けることができている。時には糸を染める作業を手伝ってくれることもあり、納期が近づくと家事を終えて夜から工房へ戻るアヤ乃さんを送り出してくれる。そんな話を聞きながら今度は織る工程を見せてもらう。ゆっくりとした口調で語るアヤ乃さんだったが、織り始めると経糸の間に横糸を通す小さな舟形の杼(ひ)が左右へ流れるペースを乱すことなく、手と足とを器用に動かす。窓から細く差し込む光で下から見上げるその姿がとても神々しくて言葉を発することがはばかられ、ただ黙って杼が走る様子と機織りの心地よい音をしばらく聴いていた。

アヤ乃さんは織物の仕事以外にアルバイトも始めた。他の仕事をしようと思ったのは、長年限られた世界にいて自分の考えに固執し過ぎていないかという不安が40手前からずっとあったからだった。工房から外に出て働いたことにより、他工芸の作り手との出会いや、人と関わったことからプラスになった部分は大きく、デザインも以前より浮かびやすくなっているのは少なからず影響しているという。

分業だから感じる喜びと仕事への誇り

真剣なまなざしで踏み木を踏み経糸が開いたところで杼で緯糸を通し、打ち込み具の筬(おさ)でリズムよくシャーラトントンと打ち込む。南風原では見慣れているあたりまえの光景だが、織物を始めた20代前半に「おばあちゃんの仕事みたい」と言われたことがあった。言った相手は身近にそのような環境がなかったのもあったが、自分の日常をそんなふうに感じる人がいたことにショックを受けた。しかしその経験があったからこそ、外部の人との関りや反応を知ることによって、こんなすごい仕事をやっているという誇りをほんの少しだが持てたことで自信につながったという。そこを思い出させてくれたことも大事だが、その気持ちを忘れずに持ち続けるのもまた大事だと胸に留めている。

工房の外に昔はテーブルや椅子も置いていたので、訪ねてくるおじいちゃんおばあちゃんとお喋りをしたり、生地の端切れやまるバツを書いたメモで南風原花織の依頼をされることもあった。お互いただの受け渡しではなく交流があったからやってこられたという。分業の仕事にも携わってきたことで誰かと作り上げる楽しさも知り、誰かのためになる喜びも知った。「一反の織物の向こうにたくさんの人がいる」というアヤ乃さんの言葉が耳に残る。

受け継ぐなかでの葛藤と新しい挑戦

アヤ乃さんは、琉球絣や南風原花織の作り手として間口を広げたいと考えている。着物という敷居が高く感じるものを、どうしたら生活に溶け込むのか常に意識しているという。絣や花織の価値を理解してもらい価格が上がれば、作り手の楽しさを後進にも伝えられるのではという葛藤もあるため、織物だけで生活をするのは難しい状況を少しでも打破していければとの思いもある。欲しいと思う人たちが何を求めているのか知るためにも、作り手が表に出ていかないとの思いから、SNSに作業工程を載せた。すると着物好きの人に喜ばれたり、地元の人が応援してくれたりとうれしい反応が届き心強さに変わった。「先輩たちに指導してもらい技術を習得して受け継ぎながらも、新しいことにも挑戦したい」。南風原に古くからある技術を受け継ぎ、作るなかで自分に何ができるのかという責任と葛藤。同じ年代に生まれてまったく違う生き方をしているアヤ乃さんのいる世界は、わたしにとって計り知れないものだった。

南風原の日常が染み込む織物の向こうがわ

機織り機の写真を撮りたいというわたしの申し出に、明るいほうがいいのではとヨシ子さんとアヤ乃さんが工房のカーテンを開けてくれる。いつの間にか夕方に差しかかり、帰るのが名残り惜しくなっている自分に気づく。玄関を出て工房の入り口に立つと地面を指して、アヤ乃さんとヨシ子さんが微笑む。ふたりが指したコンクリートで固められた地面の一角には、模様が描かれている。近づいて見ると、絣の鳥の模様が3つ描かれていて、そばに2003年7月とあった。3匹の鳥が仲良く並ぶ姿がアヤ乃さんたち親子の姿と重なる。工房を構えた際にアヤ乃さんがたまたま描いたというその模様を微笑ましく思いながら、居心地よくて長居しすぎた瓦屋根の工房を振り返る。

帰りはアヤ乃さんの運転で、かすりロードを通ってもらい照屋から本部、喜屋武を巡る。夕ご飯の準備で忙しい時間帯なのではと思い尋ねると、鶏と大根と昆布のスープを鍋いっぱいに作ってきたことや、分業の仕事の納期が迫っているので、夜から工房に戻って作業かなとアヤ乃さんは笑顔で話してくれる。織物の仕事はここでは生活の一部であり、アヤ乃さんにとっては自分の一部でもある。日々糸や機織り機と向き合いながら、つないできた伝統と絣や花織の良さを伝えようと試行錯誤しつつ、楽しみながら大切にしている。肩肘張らずそれでいて凛としているアヤ乃さんと、織りかけの黄金色した花織が美しくて帰りのバスで何度も思い返した。織りあがったとき、手に取る人はどんな心で迎え入れるのだろうか。美千代さんとアヤ乃さん姉妹で作った物も、県内の大型ショッピングセンターに並ぶ。身に着ける人、手に取る人の向こうには、いくつもの手が技をつないでいる。

ひとつの織物の向こう側にある景色を、作り手の思いとともに心に焼き付ける。わたしがそんなことを思う今も、アヤ乃さんはヨシ子さんや美千代さんと何千本もの糸に触れ、杼を滑らせて機を織り、他の工房でも同じように古くからある工程を積み重ね、作り続ける人たちの手で南風原の織物は育まれている。

文、写真 たまきまさみ

【プロフィール】

沖縄県那覇市生まれ。「夕焼けアパート」文章と写真担当。音楽ライターになりたかったのに紆余曲折しまくって、30代半ばから物書きをはじめる。やるせなさ、憂い、葛藤という感情を土台に、沖縄の景色や人々の姿をありのまま綴る。新聞やWEBにて空手、しまことば、芸能など沖縄の文化に関する記事を執筆しながら、個人史・企業の記念誌、地域のことをまとめた冊子など各種冊子の制作を行っております。

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