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足元にみつけた物語 vol.3

その手が象ってきたもの【後編】

シーサー職人 湧田陶器 湧田弘(わくたひろし)さん

30歳のときに那覇市識名出身の奥さんと結婚し、住まいを今の場所に移した。自宅敷地内の工房は、日本復帰間もないころ独立の際に立ち上げたものだ。「ちょうどまた海洋博前だったので物が売れるんじゃないかな、いいチャンスだよという感じもあって独立した」。弟たちがろくろを回して雑器を作り、湧田さんは雑器のデザインや絵づけとシーサー作りを担当し3人で製作に励んだ。製土工場ができるまで白土は名護へ、赤土は恩納村まで自分たちで取りに行った。

ところが海洋博では期待したほど売れ行きはよくなかったため、弟たちへの給料の支払いもあり2年ほど生活は苦しかったという。「うちは母ちゃん(奥さん)が勤めをしていたので給料があった。私は給料がないから、母ちゃんが当時は家計を支えていた。その間もずっとシーサーや雑器を作り続けていた」。心が折れてほかの道を選ぶでもなく、湧田さんは製作を続けながら県の物産展や工芸展で得意先を作り、県外での実演販売にこぎ着ける。そのうち業者とのつながりも生まれ、県外に納品するようにもなった。15年ほど前にろくろを回していた弟の一人が亡くなり、それを機に一番下の弟も陶工を辞めたので湧田さんは一人でこの工房でシーサーだけを作るようになった。

70年続けてきたからわかったことは何だろうと気になって尋ねてみる。「続けてきたからわかることはないですよ(笑)普段は生活のためだけって感じでやっているものだから、そんなに難しく考えたことはない」。的外れな質問に何だか恥ずかしくなる。沖縄らしさや守り神だからという特別なことは意識せず、「自分の作品」という執着もない。
生きていく糧にするために目の前にある道を選び、シーサーが県外で知れ渡る前から作り、ブームになった時は朝の9時から10時間ほど工房で作り続け、その傍らで沖展にも出展を続けてきた。それでも、その日何度も湧田さんの口から出てきたのは「若い時はお金がほしいという気持ちが強かった。生活のためだったけど、今でもほしいもん(笑)」という言葉。最初に感じた不思議な感触は、続けるうちに好きになり誇らしく魅力を語るその道を長く歩む人の言葉を勝手に想像していたからなのかもしれない。

楽しい、好きという気持ちをつないできたものではなく、生きていくために踏みならしてきた道だからこそ、飽きることも途中で辞めることもなく続けてこられたのだろうか。言葉にならない、想像のできないそのあるがままの感覚や考え方は、多くあったであろう葛藤や苦難も自身の中に納めて生きてきた湧田さんだからこそ、風情にできたのだろう。 作業風景を見せてもらう。「私はね、筋肉の動きをどうつけたらいいんだろうなということを大事にしている。こだわっているのは、たてがみは大体数が決まっているわけ。口元の周囲は9つ、まゆと髭が2つ、背中のたてがみは10ぐらい。もっと増やそうとも思うけどね、増やすとまた時間がかかる(笑)こんな感じで作っています」。何度尋ねても、おごらずひけらかさない。ありのままの正直な気持ちで自分の作っているものを淡々と説明し、いつもと同じように土を触りシーサーを象っていく。根気ややる気ではなく、体に染み付いた習慣のようなもの。作っている姿を見て何となく腑に落ちる。

思い出したように、ちょっとうれしそうに「新しいものを作るとね、面白いというか自分が今まで思いついたこととか、やっているうちにいつかアイデアが湧いてきたりする。そういうところが面白いね」と言って笑う。シーサーは作る人に似ていると言うが、湧田さんがシーサーに似ているようにも見える。それでも今はアイデアに行き詰まっていると付け加えて、シーサーの頭に載せてあったかるかんを食べた。

「今言えることはね、基礎のときはもうちょっと勉強しておけばよかったなといつも思う。常恵さんのところにいた時もそうだし、独立した後でも研究しておけばもうちょっと腕が上がったのになと。若いときはお金が欲しいものだから、手抜きしようとするわけ。数だけを多くしようとする。だめだったなと今この年になって初めて思うような感じがする。これに気づいたのは最近でしょうな」。目先の生活も大事だから難しい、そう言って湧田さんはシーサーを眺めた。「作っている時は満足なんだけど、できあがって何年か経つと欠点が見えてくるんです。みなさんがどうかわからんけど、自信がなくなってくる。多分満足しないから続けられるのかもしれないね。みんなそうじゃないかね、どんな人も」。生活のため、お金がほしかったと言いながらも、作っているものと自分自身ともずっと向き合い続けてきた気持ちが少しだけやっとみつかった。

自信がなくなる、満足しないー。70年過ぎてもなお、そんな気持ちも見つめながら作る日々。好きで今の道を選んでまだ数年の私は、湧田さんの年になるころ自分と向き合いながら逃げずにこの道を歩いているのか想像してちょっと気が遠くなる。ちょうど心が折れかけていたこともあり、湧田さんの言葉にうちあたいして(後ろめたくなり)初心に返る瞬間がいくつもあった。
 湧田さんは黙々と手を動かし、たてがみを作り筋肉をつける。逞しく、そして愛嬌のある守り神たちは、特に祈りや思いを込められたものではなく、時にはテレビを見ながら手を動かすうちに気に入った形に変わっていくこともある。作業が捗らないときは庭の剪定をしたり、普段の生活をしながら思いついたら工房の椅子に座る。すぐできる物ではないというその言葉の通り、生きていくために自分の作ったものと向き合う毎日はずっと続いてきた。月日を重ね少しずつ象られ生まれる温かみを含んだシーサーたちは、湧田さんの生き方そのものを映し出しているのだろう。

文、写真 たまきまさみ

【プロフィール】

沖縄県那覇市生まれ。「夕焼けアパート」文章と写真担当。音楽ライターになりたかったのに紆余曲折しまくって、30代半ばから物書きをはじめる。やるせなさ、憂い、葛藤という感情を土台に、沖縄の景色や人々の姿をありのまま綴る。新聞やWEBにて空手、しまことば、芸能など沖縄の文化に関する記事を執筆しながら、個人史・企業の記念誌、地域のことをまとめた冊子など各種冊子の制作を行っております。

夕焼けアパート

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【一点もの】毛手親子座シーサー豆 (正面) / 湧田陶器

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¥ 11,000 税込

【一点もの】毛手親子立シーサー ミニ / 湧田陶器

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