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手しごと島めぐり

宮古島の織物に
新しい息吹を。

宮古島・染織デザイン mieko

一つひとつの工程が、未来へ織り継ぐための模索

かつては年間1万反以上生産されていた宮古上布。 現在は手績みの苧麻糸の生産量が減り、 ラミー(紡績の苧麻糸)を使った織物に期待が集まっている。 素材の持ち味を生かした新しい表現を追い求める作家、 中島三枝子さんに話を聞いた。

染織デザイン mieko 中島三枝子さん

宮古の織物の今後を支える 宮古麻織、宮古織

中島さんが織り上げた、宮古織、宮古麻織

宮古上布という、美しい布がある。涼しげな透け感と独特の張り、緻密な機締めの十字絣や素朴な風合いの手くくり絣が特徴的。着物ファン憧れの、上質な夏きものの代表格だ。琉球王国時代、王府は宮古島の人々に税として貢納することを厳しく求め、「薩摩上布」の名で江戸でも人気を博したという。

宮古上布は、苧麻の繊維から糸を績み、藍や草木で染めて織る。糸を績む手しごとには熟練が必要だが、担い手の多くは高齢化。糸の生産量が激減し、現在では着尺が年間10反にも満たない。その希少価値から小売価格は高騰しているが、流通構造の複雑さのため実際に手を動かす職人たちに入ってくる金額は限られている。産業として持続可能とは言いにくい状態だ。このままでは宮古上布が幻の布になりかねず、島では糸績み教室も開かれているものの、まだ手績み苧麻の供給量が増加するまでには至っていない。

一方で、宮古上布の織り技術そのものを途絶えさせないことも大切。宮古織物事業協同組合では、手績みの苧麻糸に限定せず、機械紡績のラミー(苧麻糸)を使った「宮古麻織」や、ラミーと綿の糸を使った「宮古織」を売り出し中。こちらは上布に比べると価格が抑えられることも魅力だ。宮古島で宮古麻織や宮古織を手がける中島さんはこう語る。

「宮古上布の知名度、ブランド力が強すぎて、宮古麻織や宮古織はまだ知られていないのが現状です。特性を生かして、ブランドとして育てていくべきだと思います」

優しいトーンのカラフルな糸が並ぶ工房

糸の特性と向き合い、新しい表現を探究する日々

宮古織は経糸に綿、緯糸にラミーを使う。これまで上布を織ってきた人の中には、手績みの糸でもなく、化学染料も使うと、宮古織を低く見る向きもあるが、だからこそ自由な発想でいろいろな表現ができるという可能性に着目すべきだろう。

「宮古織にも少し透け感はありますが、上布とは風合いが当然違います。綿とラミーだから、家でも洗えるというのは大きなポイント。カジュアル着物や浴衣にはぴったりの素材だと思いますよ」

汗をかくことが前提の夏きもの。値の張るものは取り扱いにも気を使い、着る機会そのものが減ってしまいがち。自分で洗えるとなると、着用のハードルはぐっと下がる。普段の暮らしの中でカジュアルに着物を楽しみたいという若い人は増えており、そのニーズを十分に捉えることはできるだろう。

「経糸・緯糸ともにラミーを使う宮古麻織は、透け感があり、苧麻らしいハリもあります。好みで糊をかけてもいいですし、洗うほどにしなやかになって、着るほどになじんでいくのが魅力。手績みの糸は撚り掛けしているので収縮性がありますが、紡績の糸には収縮性が少ない。上布なら絣の柄を整える時、タテ糸を水で濡らして爪でしごきながら引っ張り上げて、ヨコ柄と合わせて織ることができましたが、ラミーではそれができません。だからこそ、ただ単に上布と同じ緯絣をそのまま宮古麻織に写しても意味がないんじゃないか、もっとラミーの特長を生かしてやるべきだと思っています」

 藍染や草木染が伝統的工芸品としての条件となる宮古上布とは異なり、宮古麻織、宮古織では化学染料も使えることを強みとしてとらえれば、表現の幅は広がるだろう。実際、中島さんの作品を見ると、豊かで優しい色づかいがとても新鮮に映る。

「個人的な感触では、ラミーにはナマの天然染料は乗りにくいという印象。私は植物染料の発色についてまだまだ勉強中なので、もっともっと可能性を探っていきたいですね」

 草木染めには草木染めの良さがあるが、どうしても紫外線や酸化で色が退色していく可能性はある。その経年変化を楽しむのが味わいとも言えるが、少し化学のチカラを借りるだけで色の変化を抑えたり、より鮮やかな発色を楽しむこともできる。また、最初に染めた色のイメージをそのまま長持ちさせる堅牢性の高さも化学染料のメリットだろう。どちらが優れているという話ではなく、どちらも表現の幅を広げてくれる存在だと考えることだ。

宮古上布の定番カラーやデザインから一歩踏み出した中島さんの作品は、新しいニーズを取り込んで宮古麻織や宮古織の市場を開拓できるだろうと可能性を感じさせる魅力にあふれている。また、帯や着尺だけでなく、ラミーの風合いを生かした軽やかなストールや帯揚げなどの小物も製作。織りの密度を調整し、タペストリー、テーブルランナー、ストールとして楽しめる「宮古麻織3wayな布」といった新商品の開発にもチャレンジしている。洋服やライフスタイルの中に宮古麻織を取り入れられるアイテムを製作することで、認知度を上げ、間口を広げることを実践しているのだ。

中島さんの作品。ナチュラルカラーの草木染め、ポップな雰囲気の化学染料、それぞれの良さが生きている

これからも気負うことなく 宮古島で織りつづけていきたい

栃木県出身の中島さん。結城紬が身近な環境で育ったこともあり、23歳で初めて沖縄へ来た時にも宮古島織物事業協同組合を訪れ、「なんとなくいいなー」と感じたという。

「何度か沖縄に来てやっぱり織物をやりたいと思い、『工芸をやりたいので、入れてください』と沖縄本島の著名な織りの先生がたの工房を回って…今思えば無謀なんですが、当時は若かったので(笑)」

宮古島の個人工房に弟子入りできることになり、会社を辞めて移り住んだ。最初の工房では、染織作家としてクオリティをコントロールすることの厳しさ、伝統文化を背負うことの重さを知った。次に後継者育成を打ち出している工房に転職。その頃からすでに手績み苧麻糸は足りない状況で、3年半ほどラミーを織った。直売がメインの工房で、モノづくりをしながら自分で売り先を探すことの難しさも実感した。宮古で織物に携わるなら、手績み苧麻糸に触れたい。さらに別の工房で1年半、苧麻畑から手績み苧麻の工程を学び、独立した。

「気づけば20年住んでいますが、自分に合ってるんだと思います。私と同じように県外から来ても、島での生活が合わなくて帰っていく人もたくさんいました。宮古島は海がきれいなリゾートというイメージがあるかもしれませんが、海とは全然関係ない暮らしで(笑)。狭い町内に住んでるような、すべてが把握できる感じがあってほっと安心できる。これからも宮古島で、織りと向き合っていきたいと思います」

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