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手しごと島めぐり

古典に学べば学ぶほど、先人の仕事への敬意は深まる。それが、職人としての背骨を形作った。

那覇市・加治工紅型

色差しをする加治工さん
本場琉球 加治工紅型 加治工摂(かじく おさむ)さん

「伝統とは、時代にアジャストしたもの」と語る加治工摂さん。 外からきた技術やデザインモチーフに、自分たちのエッセンスを加えて独自の美へと昇華させた琉球人たちの仕事に、今もずっと憧れている。

琉球紅型らしいデザインモチーフと配色だが、斜めのラインを描く竹が入ることで全体的にシャープな印象に

伝承と伝統、そして自分の表現

伝統的な紅型らしさをしっかりと踏襲しながら、洗練されたモダンな感覚が共存する加治工摂さんの紅型。

「昔は紅型を手に取る人は限られていたけど、時代が変わって、今は広い範囲の人に届けられる。紅型の真髄をちゃんと学んで、今の自分がほしいと思えるものを作りたい。ものを作るだけなら自己満足なんですが、紅型を生業にさせてもらっているので、購入してもらえるようなものを作らないといけないと思っています」

SNSのいいね!と購入行動の間には大きな隔たりがある。決して安くはない紅型だからこそ、技術的にも自己ベストのさらに上を目指したい。そのために加治工さんが重視するのが《伝統》だ。

「沖縄県立博物館や那覇市歴史博物館に残っている紅型は、王朝時代の最高峰の技術。とても細やかです。そういうものをしっかり見て、自分の中に落とし込んでいきたい。首里王府では役人である絵師が漆器や紅型などのプロダクトデザインをしていました。実は僕、この絵師の図案を模写して学んでいます。自分の中で線を追いかけていく感覚で、自分なりに昔の紅型の中から受け継いでいくべき本質に気づき、学び取りたいと思っています」

 琉球びんがた事業協同組合の後継者育成事業課程で学び、知念びんがた研究所で故知念貞男氏に師事した。沖縄県工芸振興センターで自身が後進の育成にあたった経験もある。その中で《伝統》から多くを学び、《伝承》を意識してきた。

「伝承は変えちゃいけない部分。伝統は時代にアジャストしてきたものだと思う」

 王朝時代の紅型のデザインには、中国の吉祥文様と日本で好まれた柄の両方が見られ、琉球には存在しない花や雪なども用いられた。王族だけが龍や鳳凰のモチーフを使えるなど身分制度による制約もあったが、王子がピンクを着たり、流行の柄があるなどファッションとしての側面もうかがえる。工芸でも芸能でも、伝統文化とされるものは、ずっと変わらぬ存在ではなく、むしろ時代によって少しずつ変化を重ねながら受け継がれてきた。そんな紅型の真髄を探究する一方で、こんな発言も。

「アメリカ文化に触れてきたこともあって、看板やカリグラフィー、曲線が生きている家具も大好きなんです。デザインを描くのは手描きですが、アタマの中の線を、消えないうちに描く感じ。絵図のトレースもですが、アメリカ家具の曲線とかの影響もあるかもしれません」

 モダンなセンスを感じる加治工さんの紅型には、彼自身の現代人としての感覚が投影されているのかもしれない。紅型そのものが、かつて東南アジアとの交易からもたらされた技術をベースに、中国から顔料を輸入し、日本の流行をデザインに取り入れるなど、変化を重ねて受け継がれてきた。そう考えれば、伝統の中に現代が生きる紅型も、今後の伝統につながる潮流の真ん中にあると言える。

型紙を彫るシーグ(小刀)は沖縄のウメーシ(お箸)を使い、自作したもの。手にしっくりとなじみ、力を入れやすいと語る

思考の礎にあるのは、師匠の言葉、その教え

加治工さんが師事した知念貞男さんは、口数の多い人ではなかったという。

「基本的には何でも『まずはやってみなさい』という姿勢でした。人間的もすばらしい方で、今でも尊敬しています。この人にほめられたい、喜んでもらいたいという子どもみたいな気持ちでがんばれたのかもしれません」

「まずはやってみなさい」という言葉の先には、やってみないとわからないという考えがあり、さらに「やらんとわからん、だから続けることが大事」と伝えたかったのかなと、今になってわかることもあると語る。仕事で使う道具にしても同じだ。

「いい仕事をしようと思ったら、いい道具をつくらんといかん、とよくおっしゃっていました。手の大きさも、力の具合も、人によって違います。だから尺度が難しくて、どれがいいとは一概に言えない。言い換えれば、その人の感覚を思い通りに伝えるのが道具ですから、自分の手になじんだ道具がベストなんです」

師からは、紅型作家としてモノを見る時の観察眼も学んだ。

「ご飯を食べに行く時に道を歩いていても、ふと目に止まった葉っぱの動きについて、『ただ葉っぱを見るんじゃないよ』とおっしゃっていました。風が吹いて、葉っぱがどうひっくり返るか、植物自体をじっと見たら、今度は対象物を引きで見る。そうすると周囲に生き物がいたりして」

この観察眼はデザインを組み立てる時にも生きてくる。例えばソテツを図案化するなら、実物を見に行く。

「現物をスケッチしながら、写真を撮ることが多い。きれいだなと思って、ふと引きで見ると入道雲が目に入ったり。現場でインスピレーションをもらって、広げていく感覚」

頭の中にあるイメージを具体的にカタチにしていく。その思考の礎には師の教えがあり、手には叩き込まれた技術がある。

古典柄では作家の総合的な実力が如実に現れる。創作柄に逃げない、真っ向勝負だ
色の調合には作家の個性が出る。2本の刷毛を使い、刷り込むように色を差していく

「200年前の色を、よく妄想するんですよ」

 琉球王朝時代の紅型は、欧米の博物館にも数多く残っている。外交の進物として琉球から外へ出ていったものや、明治政府が琉球を併合した後に流出したものなどだ。

「世界中の博物館に紅型が残っているのは、琉球人が世界の人に刺さる美的感覚を持っていたからだと思います。ただ、僕らが見てるのは染めてから200年後の色。紅型は顔料を使うので退色しないと言われますが、全く退色しないわけではない。これが染められた当時にはどれだけ鮮やかだったのか。200年前の色を、よく妄想するんですよ」

亜熱帯の日差しの元でこそ映える、色鮮やかな紅型。線を追いかけてデザインをおこす加治工さんにとって、やはり色配りも重要な要素。帯地やタペストリー、額装する飾り布、ストールや小物など、取り扱うものは多岐にわたる。売れる“商品”を作るために、時には呉服問屋さんから色数を抑えるようにリクエストされることも。

「和服に関しては、実際に身につける人の気持ちを聞いて学ぶしかない。だから販売展示会などで、着物を着る方の声を直接聞くのは貴重な機会なんです。配色に関しては紅型屋としてゆずれない一線はありますが、 自らの固定観念に縛られすぎず、美意識の中で都度最善にチャレンジしたい。注文があってデザインを起こす時は、クライアントの意見や求めている要望から広げていって考えるようにしています」

イメージをカタチにするプロセスはそれぞれ。少なくとも加治工さんの紅型には、200年前の職人たちの無記名の仕事に向き合うという言葉にならない邂逅、師に学んだ職人としての矜持が宿る。だからこそ、現代社会の中でキラリと光る紅型が生まれるのだろう。

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