暮らしをみつめる石彫り獅子
スタジオde-jin(若山大地・若山恵里)
沖縄好きな方なら一度は見たことがあるであろう「シーサー」は、単なるおみやげや工芸品の枠にとどまらず、沖縄文化のアイコン的存在の一つとして広く知られています。ではそのシーサーにとって原型といえる、野趣あふれる石彫りの獅子=「石獅子」をご存じでしょうか?
もともと集落の安全や無病息災を願って作られたと考えられる石獅子は、琉球石灰岩を削って作られてきました。石としては軟らかいですが気孔が多いという性質上、手の込んだ装飾が加えられません。結果、非常に素朴な表情をしたものばかり作られ、残ってきました。
愛知県出身の若山大地さんと、滋賀県出身の恵里さん夫妻が首里で営む「スタジオde-jin」は、その石獅子を専門に作っている沖縄でも極めて数少ない工房。お二人とも沖縄県立芸術大学の彫刻専攻のご出身で、後述するようにさまざまなめぐり合わせで石獅子と出会い、生業とするようになって10年あまり。現在工房では、形状にして20前後の形の石獅子を、大中小ミニといったサイズに分けて製作しています。注文が立て込んだ時に粗彫りのアルバイトを頼む以外は、大地さんが一人で手彫りで製作を続けています。
恵里さんは2022年7月に初の著書「石獅子探訪記」を、沖縄の出版社・ボーダーインクから上梓しました。村落獅子について情報収集しては現地に足を運び、実物を撮影して様子を記録し、集落のお年寄りからお話を聞いて理解を深める。週末の度に家族総出でそれを繰り返してきた、長年にわたるリサーチの集大成の1冊です。
本の中で取り上げた石獅子の数は130体。そもそも石獅子が、設置された地域の歴史の中で「必要とされて」作られてきたもので、それを紹介するこの本は必然的に、それぞれの土地の歴史・民俗史までカバーするものとなります。たとえば、この地域にこんな出来事があった、あの地域とあの地域はかつて交流が盛んだった、などなど。石獅子をカタログ的に集めるだけにとどまらない、深みを感じることのできる1冊です。
「この本は美術や工芸本のコーナーじゃなくて『るるぶ』とかと並んで売られたらいいなって思います」と恵里さん。島の各地をめぐり理解を深めるガイドブックとして活用してほしいという思いがあります。また、各石獅子の「見つけやすさ」や「危険度」が星の数で数値化されたり、「ゲームの攻略本みたい」なおもしろさも本書の楽しさのひとつです(実際に恵里さんはお兄さんが任天堂に勤められているそうなので、血筋のなせる業なのかもしれません……)。
「(石獅子のリサーチを続けてきて)本という一つの完成版を出すことができた。自分が作った石獅子を県外に持っていくときに、より深く紹介しガイドしているこの書籍と一緒に提案できるようになった」と、大地さんはいいます。「『沖縄の地域性』みたいなものを石獅子に重ねて紹介しやすくなったので、そういうのを全国・全世界にやっていけたらって思います」
自分の作る石獅子はあくまで「手が届かない芸術品でなく、生活に彩りを与えるアクセント」としてとらえて欲しいという大地さん。そして、130体にものぼった石獅子のリサーチが「大変と思ったことは一度もない」という恵里さん。お話を聞いていると「好きだからやっている」という純粋な気持ちが土台にあることが、静かにしっかりと伝わってきます。
そんなスタジオde-jinのお二人ですが、大学を卒業してから現在のスタイルに至るまで、すんなりたどり着いたわけではありません。母親の出身地で自身のルーツである沖縄に住みたいという思いからスタートし、自分の関心から沖縄県立芸大の彫刻科を進路に選んだ大地さん。実は、沖縄県立芸大では石獅子の存在を知ることなく過ごしていたといいます。
卒業後は建設現場で職人仕事をしたり、沖縄県立芸大で助手や非常勤講師として勤めたり。結婚して子どもも生まれ、必要に迫られていろんな職業を経験するも、「沖縄で暮らし、石を生業とする」ことは諦めたくない。かといって、そうそう手がかりも見つからない。
そんな中、大地さんに石獅子の存在を示してくれた人がいました。友人で、県立芸大彫刻科の同窓生でもあり、「玩具ロードワークス」を主宰する豊永盛人さんです。大学の助手の仕事を辞めて、瞬間的に「無職」になっていた大地さんのもとに連絡をくれました。
「『沖縄で”石でやっていく”つもりはまだあるの?』って言われて『まあ、一応』と答えたら、おしえてくれたのが村落獅子だったんです」
豊永さんに導かれ、大地さんが初めて目にした村落獅子は那覇市上間の通称「カンクウカンクウ」。その時のことを大地さんは、「沖縄で石を彫っていく道が見つかった」という感覚が自分の中に生まれたと、振り返ります。
「その次の日から豊永の工房で石獅子を作り始めました」と大地さん。学生時代からの習慣でじっくりゆっくり時間をかけて作っていると、豊永さんは「遅いよ」と”横から茶々を入れて”、作業スピードアップへと追い立ててくれたそうです。さらに、自分の展示会に大地さんの作った石獅子100体を忍ばせて、人目に触れる機会を作ってくれたりもしました。(ちなみに初めて100体忍ばせた展示会では、1体も売れなかったそうです。今では想像しにくいことですが……) 。
それだけにとどまらず豊永さんは、大地さんの石獅子作りが軌道に乗るまでの間は自分の工房の主力商品の一つ「琉球張り子」作りの仕事も依頼していました。大地さんにとっては収入源であるのはもちろん、「作品ではなく商品」を、仕事として作り続けて行く上での腕磨きの機会になったようです。
「まさに恩人と呼べる存在」となった豊永さんですが、その後アトリエ移転の際には大地さんが内装工事を手がけるなど、技術・労力を持ち寄る昔ながらの「ゆいまーる」の関係で、持ち寄り合い、おぎない合い、スタジオde-jinは開業へと進んでいきました。
当時のことを振り返ってもらった時、「あの頃は大変だったねえ……」とご夫婦で目を合わせて語ったのが印象的でした。「所持金が3000円ぐらいになったり…」「家のモノこっそり売りに出したり…」とは、恵里さんの言葉。スタジオde-jinの石獅子に、どこかあっけらかんとした明るさ、たくましさを感じるのは、そんな大変な時期を乗り越えてきた経験が表れているのか。なんて、無粋とはわかりつつも妄想せずにはいられません。
自身が作る石獅子について「立派な芸術品・工芸品」とは思っていない、と大地さんは語ります。
「もともと参考にしているのが村落獅子なので(自分の作るものは)『立派な芸術品、工芸品』とは思っていないです。『なるべく高く売りたくない』という気持ちはあります。『値段を上げることで価値を持たせる』ということには正直、興味がないので。そういうことをすると「好きでやっている」という自分の気持ちが、嘘だと感じられてしまって」
石獅子とはそもそも考えてみると、食器や衣服のような実用性はなく、人々が地域の平安を願う気持ちを託して具現化させたような存在。お二人の言葉からは、「石獅子を通して沖縄の文化や歴史の一片を扱っている」という思いがたしかに感じられるのです。
お仕事を通して喜びを感じることを訪ねたとき、前述の石獅子との出会いを語った後、「沖縄で好きな石を彫って生活していけてることがそもそも幸せだなって、思うことがありますね」と静かな口調で話してくれた大地さん。工房で製作だけして過ごす時間は長く、時には万歩計が1日で20歩しか計測しないこともあり「自分にそう言い聞かせている時もあるけど」と苦笑しますが、作られた石獅子を見つめてみればきっと、その幸せの面影を感じられるのではないでしょうか。