育陶園
古くから沖縄を代表する陶器の町として知られる那覇市壺屋。メインストリートの「やちむん通り」には老舗の趣きをたたえる店が立ち並び、「歴史と伝統」というイメージを持つ人も多いでしょう。
けれども実は、時代に合わせて柔軟に変化してきたという柔軟性・懐の深さも、壺屋という地域の重要な特徴です。
そして、その懐の深さを象徴するような存在の一つが壺屋焼窯元「育陶園」です。
日本伝統工芸士でもある
その一方で、1970年代に壺屋で登り窯の使用が制限され、多くの窯元が読谷へと移っていったなかで、今日まで壺屋という土地に残り続けていることも大切な一面です。
「あくまで個人的な見解なんですが」と前置きした上で語ってくれたのは、育陶園七代目の高江洲
「この場所がダメになったから次のどこかへ、っていうのではなく、この場所に根を張って続けていくことで、生まれることがあるんじゃないかと思うんです。
そして、この土地で日々やちむんが作られているという<風景>をつくっていきたいという気持ちがありますね」
単純に自分が生まれ育った土地なので愛着もありますし、と笑顔を見せる尚平さん。自身もこの壺屋に生まれ、現在も工房に隣接するご自宅に暮らし、大家族のような育陶園を引っぱっていく役割を務めています。
職人だけでなくショップに陶芸教室と、多くのスタッフが働いている育陶園ですが、そのみなさんが家族のように仲がよく、アットホームな雰囲気の中で仕事をしていることは、知る人ぞ知る育陶園の個性の一つです
毎週水曜日には、女将の啓子さんを中心に自分たちで調理したまかないが振る舞われ、お座敷狭しと職人・スタッフが一同に集まり、一緒にお昼をいただきます。
取引先や関係者の人が誘われてご馳走になっていくことも日常的なのだとか。その賑やかな光景は、今年に入って全国ネットのテレビでも紹介されたので、目にした方も多いことでしょう。
「これはやっぱり、陶主(忠さん)の持っている感覚、彼が大事にしている部分なんですよね。僕もこの雰囲気はとてもいいと思うし、いずれ自分の代になっても
大切にしていきたい部分です」
と尚平さん。
そんな大所帯の職人さんたちが朝は掃除と朝礼からキッチリとスタートしろくろや絵付けなど工程ごとの分業体制で、日々数多くのやちむんを生み出し続けています。お皿やマカイなどの生活雑器も素敵なのですが、育陶園を語るときにハズせないのが、「シーサー」の存在です。
大きさ一つとっても、小さいモノは手のひらサイズから、大きいものだと1m級まで。小さいモノはおみやげや贈り物として時代のニーズに合わせて改良を重ね、現在の愛らしくも凛々しい風貌へと進化を遂げてきたそうです。絵付けの種類では飴釉、コバルト、青磁(せいじ)、赤絵、辰砂(しんしゃ)と、バリエーション豊かで、いろんな好みに答えてくれます。
そして、壺屋ファンあるいはシーサーファンの間でよく知られる育陶園シーサーの特徴があります。
それは、眉間に掘られた「王」の文字。
もともと、表情に迫力を出そうと眉間にしわを彫り込み、横に3本、縦に真ん中に1本と刻まれていたものが、いつからか漢字の「王」として掘られるようになったのだとか。
「シーサーの原型であるライオンも『百獣の王』と言われますし、一番強い『魔除けの王』って意味にも見えますよね」と笑う尚平さん。
ちょっとした余談ですが、この字の名前を持つ偉大な野球の監督が育陶園のシーサーと出逢っておおいに感激し、まとめ買いして帰っていったというエピソードが残っているそうです。
小さくても細部の作り込みがしっかりとして何だか頼もしく感じてしまうぐらいで、キリッとしたある種の格好良さを感じさせます。
「先代(故・高江州育男さん)のシーサー作りを追及する姿勢は本当にすごくて、シーサーのルーツの形を求めて何度か中国に渡ったこともありました。土に負担を与えない、丈夫に作れる重心の位置だとか、焼いても崩れにくいカタチとか、先代が考えて残した工夫は、私たちもすごく影響を受けているんですよ」
変わり続ける柔軟さとその一方で変わらない、あくなき探求の姿勢。歴史と未来の間に立ち今、愛され、使われるやちむんが育陶園では生み出されています。
終始にこやかな笑顔で、確かな想いを語る尚平さん。その向こう側に、黙々とろくろを引く忠さん。そこに、「こんにちはー」と、かわいらしい声が。
訪れた小さなお客さんは尚平さんの長男・巴音(ともね)くん。自宅から近い工房を遊び場のように育ち、毎日訪れているそうです。
「この子が八代目さー」職人からすっかり「おじいちゃんの顔」で忠さんが笑いました。
帰り際、「またいつでも遊びに来てね」と笑顔で声をかけてくださった忠さん。厳しいイメージのある職人仕事の世界でこれだけ多くの人が引き付けられ毎日を笑顔で過ごしている。その理由がわかった気がして、大きな声でお礼を伝え、育陶園の工房を後にしたのでした。