しなやかにして巧み、腕一本が開いた道
シーサー職人 名波均
「シーサー作りで大切にしているのは『これなら魔除けになる』と思われるものを作ること。それはお客さんが感じて、決めることなんだけど、『強そう』とか『威厳がある』と言ってもらっています」
強そう。迫力がある。リアル。魔物を追い払ってくれそうなシーサーの条件にはいくつか考えられますが、名波均(なは・ひとし)さんの作るシーサーはそのすべて備えているように見えます。
沖縄本島中部、うるま市の住宅街。AMラジオが響く工房の中で、名波さんは毎日、一人でシーサーを作っています。名波さんが作るのはほぼすべて「手捻り(てびねり)」と呼ばれるシーサーで、型を使わずに手作業で成形されるもの。取材時に手がけていたのは高さが60センチを超える大きなシーサーで、頭と顔の部分を形作っていました。
名波さんは現在のところ、自分のシーサー作りを芸術ではなくお客さんに喜んでもらうための「商売」と考えていると言います。「『芸術』は自分の為に作るものじゃないかと思う。僕が作るものは、お客さんに『喜んでもらってナンボ』。だから喜んでもらえるための『金額』と『出来』のバランスっていうのは気にしているよ」。確かに、「これだけの出来栄えでこの価格はちょっと意外」という声はお客様からよく聞くことがあります。もちろん「もっと高くてもよさそうなのに」という意味です。
いかにも魔除けにふさわしい迫力に満ち溢れた名波さんのシーサーですが、その生まれてくる原点は「想像力」「カタチをイメージする力」だと、ご本人は言います。
「形づくる前に頭の中にイメージが生まれるんだけど、それはどれだけモノを見てきたか、どれだけの観察力で見るかによります。そして、頭に思い描いたモノは現実化したいというのが、人の本能だと思う。自分がイメージしたものをカタチにして、存在を確認したい。その想いは大切にしてきました」そう語る名波さんの言葉には熱を感じます。
学生時代、将来の仕事を意識し始めた頃「はじめは設計士になりたいと思った」と話す名波さん。「だけど理数系の勉強は自分にはムリだ、と(笑)。かといって文科系もムリだ。じゃあ、美術系なら自分にもできるかも、と。デッサンとかやったこともないのに(笑)」そうして高校を卒業後、沖縄を出て多摩美術大学に進学した名波さんは、東京が沖縄とあまりに違うことに驚きます。「『自分は日本人』だと思っていたけど、いや違う、『自分は琉球人だ』と思った」。
生まれ育った沖縄とまったく異なる環境は、若き名波青年におおいに刺激を与えました。見るもの、食べるものがいちいち珍しくておもしろい、という調子で都会暮らしを謳歌した名波さんでしたが、持ち前のマイペースさからか、次第に無軌道な生活へ。大学は中退。ギャンブルにはまったりもしながら最終的には8年間を東京で過ごした後、沖縄へと帰ります。
様々な仕事を経験するものの、最も長く続いたものでも、ご本人いわく「カンバン屋さんの10か月」。そんな名波さんにとって人生最大の転機となったのは、同級生の「”石”をやってみないか?」という何気ない誘いでした。美大に通った経験を知って声をかけてくれたそうですが、誘いに応え、地元具志川市の公園施設内に「龍樋」(龍の頭をかたどった水の出口)を見事作り上げました。その仕事が認められ、沖縄県庁新庁舎内の龍樋、当時復元工事中だった首里城内の石彫刻など、着実に職人としての実績を積み重ねていき、やがてシーサー専門職人として独立を果たしました。
2000年には自身が主宰する工房「アトリエQ」を開設。県内の観光施設や工芸品店などを通してシーサーの魅力を世に広めてきました。余談ですが、この工房名の「アトリエQ」は当初、「アトリエ”究”」と探究や究めるという意味の文字が使われていました。
「だけど領収書もらう時なんかに、みんな間違って書かれてさ。直してもらうのも面倒だし、工房名を変えてしまったわけよ」。工房という一国一城の主となっても、持ち前のしなやかさ、マイペースさは変わらない名波さん。そうして「アトリエ究」改めアトリエQと職人・名波均の名前は、全国にファンを得ていきました。
現在工房は解散し一人で製作を続ける名波さんが、シーサーの稼ぎ一本で育て上げたお子さんは一男一女の二人。現在大学4年生という上のお嬢さんは「こないだの父の日に、『いつもありがとう』って電話くれたよ。珍しいことなんだけど」と照れくさそうに教えてくれました。今年大学に入学したご長男はというと、見習いとして工房に入ったばかり。工房内の棚にはつい先日完成したという初めてのシーサーが鎮座していて「まだまだこれからだよ」と、師匠でもあるお父さんが見守っています。
「自分の製作について、少しでも出来がよいものが作れたらそれが喜びなんだけど、満足を感じたことはない。モノを作る人はみんなそうじゃないかな。満足できないから、常にうまくなりたいと思っているよ。そして、好きなことをやっているから辛いとかしんどいを感じることもない。やりたいことができて親に感謝だね」
後悔ややり残しのないように作りたいものを思い切り作りたい、というのが今後の展望だと話します。作品も生き様も、カッコいいのひと言。そんなシーサー職人・名波均さんの素顔でした。