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足元にみつけた物語 vol.3

その手が象ってきたもの【前編】

シーサー職人 湧田陶器 湧田弘(わくたひろし)さん

「私は楽しいからとか好きという気持ちで焼き物の道へ入ったんじゃない。生活のためのアルバイトから始まっているんだけど、まあ好きでも嫌いでもないというのかな。これが自分の行く道になってしまって、何十年も過ぎた。じゃあ来年までは、来年まではと言っているうちに結構道ができて、いつの間にかシーサーつくやーになっていたという感じでね」。
柔らかい口調で話す湧田さんの言葉に戸惑いながらも、10代半ばに出した選択は不思議な感触を残した。

「学校へ行ったってそんなに勉強は身についていない。どちらかというと焼き物が中心になってしまってね。その時分は若いから大変とかはなかった」そう言って湧田さんが笑顔になると、隣に並ぶシーサーも一緒に笑っているように見える。
今の時代なら「興味を持って」「好きで」その道へ入って行くというのがイメージしやすいが、湧田さんの時代はあくまで生活のため。土を捏ねたり足踏みしたり、土を取りに行くのも難儀ではあったというものの、働いている弟子たちみんな一緒だったのでつらくはなかったのだそう。生活のためにと70年近く歩いてきた道は「できる間はやろうかな」という感覚で、ゆっくり歩みを進め今も続いている。肩肘張らず、気負わない。誰もがなかなか真似できない湧田さんの焼き物に対する姿勢と生き方が、シーサーたちに自然に宿り見る人を惹きつけるのかもしれない。

手の感触と飾らない日常の風景が染み込んだ、今にも喋りだしそうな愛嬌のあるシーサー。湧田さんの時代は修行と言っても手を取って教えてもらうものではなく、師である常恵さんの手元を覗きながら、作業を通して見よう見まねを重ねて覚えていったものだ。口数が少なかった常恵さんが、湧田さんのやり方が間違っていることを教えてくれたのは酒の場だった。
陶工の修行には段階ごとに役割があり、土を捏ねる「ンチャクナサー」から始まって「ジョウグチャー」と呼ばれる工房から持ってきた物を窯の入り口で中の人に渡す係になり、一人前と認められると窯の中で詰める作業を担う「カマチマー」になれる。それぞれの段階を経てシーサーが作れるようになった湧田さんは、高校を卒業するとシーサーの受注数に合わせてお金が支払われる「受け取り」をするようにと言われた。この言葉が一人前として認められた証しだった。

前編おわり

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文、写真 たまきまさみ

【プロフィール】

沖縄県那覇市生まれ。「夕焼けアパート」文章と写真担当。音楽ライターになりたかったのに紆余曲折しまくって、30代半ばから物書きをはじめる。やるせなさ、憂い、葛藤という感情を土台に、沖縄の景色や人々の姿をありのまま綴る。新聞やWEBにて空手、しまことば、芸能など沖縄の文化に関する記事を執筆しながら、個人史・企業の記念誌、地域のことをまとめた冊子など各種冊子の制作を行っております。

夕焼けアパート

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